セッション第七節  天使マヤの存在

ーーー現世に生きる我々にとって死後世界も現実世界の一つであるという、お言葉をいただいているわけですが、やはり、これは我々自身の経験があってこそ実感できてくるものなのかもしれません。死後世界の存在とは信仰の対象として受け止めさせていただくのが良いのではと思うわけです。そして、また、マヤ様のお言葉は、当然、倫理、道徳としても、実生活に適用して実践してゆくのが望まれるものなのではないでしょうか。
「ご指摘のほど、感謝いたします。信仰とは神の存在を信じるということです。それが摂理にならい、摂理にかなう生き方を目指すということにつながってゆきます。それこそが宗教と言えるものです。信仰とは神が摂理を示される存在であることを理解することでもあるわけです。死後世界の存在も摂理の内に入るものであることが理解できてくれば、それが、信仰心を生きる希望へと導いてくれるはずです。それは信仰者の精神を強めてくれます。それは摂理にかなうことこそが人の進むべき道であることを証明します。それが信仰の価値と言えるべきものなのではないでしょうか」


ーーーマヤ様の、お言葉に、私はイエス・キリストのお言葉が重なるように感じられることがあるのですが。
「わたくしマヤはイエス様のお教えにより、ご指導をいただく者の一人であることに相違ありません。しかし、特定の宗教を支持する立場にはありません。わたくしの言葉は霊的真理と呼ばれるものに加わるものです。それは、あなた方の信仰にそぐわないものでは決してないことを、お約束いたします。信仰は知識を必要とするものです。時には教説を読み解くために深い知的体験を必要とすることもあるかもしれません。わたくしは、その一助になればという思いで、このような場をいただいているわけなのです」


ーーー世の中には、多くの宗教や信仰がありますが、そこに、優劣というものはあるものなのでしょうか。
「宗教に優劣は無いと見ています。語る言葉は互いに違いますが、真理を語らない宗教はありません。しかし、信仰者には優劣が見て取れます」


ーーー真理はひとつなはずですが、なぜ、様々な信仰があるのでしょうか。
「それは、真理とは、あなた方の魂のうちにあるものだからです。それをどれだけ深く悟ることができるかが、信仰の優劣につながります。信仰にも表現の自由があります。信仰の自由を尊重するとは本来、そのことを意味しているのです。内省的な生活とは、あなた方に内在するところの神性を示すことです。これこそが本来の信仰生活と言えるものなのではないでしょうか」


ーーーマヤ様ご自身の今現在の生活や、その環境などについてお聞かせいただくことはできますでしょうか。
「わたくし自身の生活については、常日頃から、わたくしをご指導していただいている、お方のお言葉を紹介させていただくのが良いかと存じます。それは、地上世界の人々のお役に立つことを願うのであれば、自らその範を示せるようにとのことです。わたくしたちの生活があなた方の理性にそむくものであってはならないわけです。もし、わたくしが貧しい人たちに声をかける機会を受けながら、その貧しさにそむくような生活をしていたなら、誰も、耳を傾けなくなることでしょう。わたくしのその声には真実がないからです。もし、わたくしが虐げられた人々に神のお言葉を伝える栄誉を受けながら、わたくしの心が虐げられた人々の思いを汲めるほどまでに貧しくなければ、わたくしはそれに相応しくありません。わたくしが、自らに宿る神性を示せるように、自らを戒めることができなければ、人々のお役に立つことなどかなうわけがありません。わたくしは、その戒めを日々の行いとしなければならないものです。わたくしは、自らのいたらなさを償うべきものです。わたくしは、その機会あることに感謝すべきものであるのです。

霊的世界での、わたくしがおかれている環境についてお話させていただきます。ここで目に映る景色は、地上世界とそう大きくは変わるものではありませんが、色彩的美しさにおいては地上世界を圧倒しているものがあります。わたくしが住まう場所もひとつの客観世界といえるものですが、それはわたくしの心象が反映したものでもあるのです。あなた方の地上世界でもそれは言えることなのですが、例えば美しいものを見ている時、目に映る、その美しさとは、あなた方の感情であって、それは心象風景と言えるものです。客観世界に感情があるわけではないわけです。霊的世界の風景においては、それが、さらに、はっきりしたものとして反映されてきます。つまり、自分の心の豊かさが目に映る景色に忠実に反映されている世界になるわけです。その意味で、霊的世界は精神世界とか心象世界と呼ぶこともできます」


ーーー死後においては、人は各々、自らの心象が映しだされた環境へと移行してゆくということになりますと、例えば、貧弱な精神で生涯を終えた人たちは現世よりも厳しい環境へおかれるということもあるわけでしょうか。
「懲罰として、そういう環境におかれるということではありません。その人達にとっては風景の良し悪しなど関心も何もないということもあるわけです。周囲の環境が、実は自分の精神が反映されているものであると気づいてくれれば、それがきっかけとなって、内省的な生活へと移行してゆく人たちもいます。環境が人を変えてゆくという良い例です。人は誰しも見捨てられるようなことはないことがお分かりになると思います」


ーーー以前のセッションで霊界は地上世界に比べ、科学技術がかなり発達しているような、お話をされていましたが、マヤ様ご自身の生活も、我々の目から見れば、かなり進んでいるものがあるという理解でよろしいのでしょうか。
「霊的世界における科学技術の発達は全て奉仕活動の成果としてあるものです。地上世界とはそのあり方が根本的に違うわけです。それらの成果の多くは地上世界の改善に貢献することを目的としています。わたくしたちはあなた方のように様々な機械装置にかこまれながら生活しているようなことはありません。あなた方からの目から見れば、わたくしたちの生活は、かなり質素なものに映るはずです」


ーーー地上世界に住する、我々の中にも、マヤ様がされているような生活に憧れている人たちも少なくないのではないでしょうか。それは物に頼らない生活であり、環境にやさしくできる生活であり、そして、何よりも心を大切にできる生活であるはずです。
「そのお言葉をお聞きすることができて励まされる思いです。わたくしは、あなた方に希望があること、失うものなど何もないことを知っています。あなた方は必要とするものをすべて手にされています。いずれ、この地球上に、人類が生態系を脅かすことのない文明を築くことのできる時代が訪れます。それは、決して遠い未来ではありません。その時代になれば、あなた方、ご自身の生活だけでなく、社会のあり方も、現在とは大きく違ったものになっているはずです。享楽を追い求めるような生活は次第に姿を消してゆきます。あなた方は好ましい生活態度を身につけるだけの素質をそなえられています。いずれ、そのことが理解できるようになります。そのためにも、ご自分の内にある、良き心に頼る生活を実践なさってください。あなた方が大切なものであると教えられてきた、その心とは精神の情緒面を表す言葉です。その最も協和的なレベルが幸福といえるものです。幸福は、あなた方の内にあります。それは外に追い求めても手にできるものではありません。あなた方は、ご自分が生かされている存在であることを自覚なさってください。あなた方は孤独ではありません。あなた方は感謝できる人たちです。わたくしは、それを良く知る者の一人です」